私は2023年2月現在、29歳です。だけど私は11歳までの記憶しかありません。ストレス性健忘という病気を発症し、私が記録している限りで2022年2月4日に12歳~28歳までの記憶がなくなっていました。目が覚めたら記憶と違う家、成長した身体、年をとった家族の姿。当時、身体は28歳だけど、記憶は小学6年生くらいしかなくて、混乱したようです。曖昧な表現になってしまうのは、2022年2月以降も、何度も記憶のリセットが起こり、受容した病気についての知識も忘れ、また何も覚えていない11歳に戻るということを繰り返しているようなのです。そして、2022年2月以前から、ストレス性健忘による記憶障害は起こっており、私が記録していないだけで、家族をたいへん困らせていたようです。ストレス性健忘とうつ病という精神疾患により、私は精神障害者手帳1級で、家族の助けを借り治療しながら、いつまた記憶がリセットされるかも分からない不安とともに生活しています。そんな時間の中で私が心穏やかになれるのは編み物をしている時です。糸を触って、無心で編む時間は確かに私という人間が「ここに生きている」ことを実感し、編んだ作品は「私という人間がその時間を生きていた記憶の証明」だと思うのです。だからずっと編み物作品を生み出しています。そして、どうして「あおもり藍」にこだわるのか。それは私が青森県で生まれ育ち、今も青森県で生活しているからです。途切れそうになった青森の藍染めは「あおもり藍」というブランドとしてその伝統を繋いでいます。私の忘れてしまった記憶も、私自身は思い出せなくなっても家族や周りの人達が覚えています。これから何度記憶がリセットされても、誰かが「船橋春香」という人間の過ごした時間を覚えていてくれたら。藍染めの繋いできた時間と沢山の人達が守ってきた伝統の力をお借りして、編み物という作品を生み出し、ストレス性健忘とうつ病の「私」を誰かに覚えていて欲しい、そう思います。もし、私のように記憶障害や精神疾患で苦しんでいる人がいたら、「こんな人間もいるよ」と伝えたいです。
「私」を忘れないために、編み物をずっと続けています。インスタグラムを中心に編み物作家haruという名前で写真や動画の投稿をしています。手元に作品はありますが、それを写真でもSNSでも残しておくことで、忘れてしまった時に「過ごした時間」を辿る道しるべにしています。また、noteやYouTube、スタンドFMで、私自身のリアルな病気の症状や日常を発信しています。元々は私自身の記録として始めたのですが、今は「同じ病気の人や、今苦しくてつらい思いをしている人に、こんな人間もいるよ、ひとりじゃないよと伝えたい」という気持ちが強いです。ストレス性健忘をはじめ、解離性障害や記憶障害というものは「嘘つき」「気のせいだ」「異常者」などの差別や偏見を受ける場合も少なくありません。私自身も発信していく中で差別的な声を浴びせられたことも何度かあったようです。記録が残っています。当事者しか分からない苦しみがあります。家族でさえ理解しづらいこともあります。理解したくても理解できないと苦しむ人もいます。病気であると気づいてさえいない人もいます。こんな病気があることを知らない人もたくさんいると思います。もっと多くの人に私の発信が届くことを願って活動しています。