April Dream No.122
障がいや病気の有無問わず、みんなが心穏やかに生きる世界を創る
この想いを抱くようになった理由を、少し記載させていただきます。
私は四人姉妹の三女。後天性の重度精神障がいの姉(長女)は37歳ですが、精神年齢は2-3歳。14年前のある日、本当に突然にいわゆる健常者から、精神障がい者になりました。昨日は普通に会話していたのに、会話もできない。感情が高ぶると、2歳児のように全力で殴る、蹴る。ひどいときには、包丁を持って家の廊下を走り、怖くて扉の取手を握りながら祈るような気持ちで時間が過ぎることを待つ日もありました。人格が崩れていく瞬間を目の当たりにしました。1年半後、7歳年下で当時中学生の妹(四女)が急性白血病を患います。昨日まで一緒にご飯を食べて、おはよう、おやすみを言っていた妹の手や顔の色が青白くなり、数週間後には無菌室という透明のカバーの中でしか生活ができなくなりました。98回の抗がん剤治療。髪の毛は抜け落ち、顔は薬の副作用でぱんぱんに。抗がん剤治療の結果、妹は治療期間を終え、現在は企業に勤め、今年結婚を控えています。しかし、妹と同じ病室だったお友達は、天国の住人となりました。姉は発病から間もなく15年。両親の強い希望で、自宅内で看病しながら生活をしています。両親も歳を重ね、初期は1人でできた看病が、今では2人がかりでないと看ることも難しい状態です。障がいや病気がある人が家族にいると、旅行に行く、ごはんを食べに行く、お散歩も、ただそれだけのことが、本当に難しいです。妹の病院で、治療の問題で給食のハンバーグが食べられなくて、一日中泣いていたお友達を知っています。お料理屋さんに行っても、姉の徘徊や奇声、見慣れない行動で、周りの方から様々な種類の視線も受け、機嫌が悪くなると途中で退席することもありました。私は思います。障がいも病気も、年齢や性別も、全てを超えて個人がそのままを受け入れられ、いろんな存在がいて、社会や世界がなりたっている、ということをフラットな目線で感じられる社会になればと。障がいや、病気があると、選択できる日常があまりにも狭い。余暇の活動になるとなおさらです。レストラン、ホテル、アクティビティ。基本的には健常者のために設計されたサービスです。それ自体が問題だとは思いません。ハード施設のバリアフリーを謳う場所はあれど、それよりも心のバリアフリー、「その場所にいてもいい」という周りへの申し訳なさや、気遣い疲れの方が乗り越えにくい問題です。それらを少しでも解消したく、2020年宿を作りました。奈良県東部、山添村という場所で、ぴかぴかの朝日と、満点の星空と、心地の良いアウトドアサウナのついた、3室限定の宿です。https://www.ume-yamazoe.com/
自然界は色々なことが起こります。足のないカマキリや命が途絶えかけたセミ、上手に鳴けない鳥。それらを目にすることで、感覚がフラットな状態になる人が増やしたいです。そして、1月にPR TIMESでもリリースしましたが、月に1度障がいや病気のある方、ご家族の招待day「HAJIMARI」というプロジェクトを実施していきます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000054761.html
障がいや病気の有無問わず、本人も、家族や大切な人たちも、みんなが心穏やかに過ごせる場所を創る。そしてその姿をみて、いろんな人の感覚が”やさしく”変わること。これが私の夢です。どれだけのことができるかはわかりませんが、もらった命を生きられている時間を、少しでもあたたかな感覚で包まれる世界を目指して、もてる力を使っていきたいと思っています。
私は四人姉妹の三女。後天性の重度精神障がいの姉(長女)は37歳ですが、精神年齢は2-3歳。14年前のある日、本当に突然にいわゆる健常者から、精神障がい者になりました。昨日は普通に会話していたのに、会話もできない。感情が高ぶると、2歳児のように全力で殴る、蹴る。ひどいときには、包丁を持って家の廊下を走り、怖くて扉の取手を握りながら祈るような気持ちで時間が過ぎることを待つ日もありました。人格が崩れていく瞬間を目の当たりにしました。1年半後、7歳年下で当時中学生の妹(四女)が急性白血病を患います。昨日まで一緒にご飯を食べて、おはよう、おやすみを言っていた妹の手や顔の色が青白くなり、数週間後には無菌室という透明のカバーの中でしか生活ができなくなりました。98回の抗がん剤治療。髪の毛は抜け落ち、顔は薬の副作用でぱんぱんに。抗がん剤治療の結果、妹は治療期間を終え、現在は企業に勤め、今年結婚を控えています。しかし、妹と同じ病室だったお友達は、天国の住人となりました。姉は発病から間もなく15年。両親の強い希望で、自宅内で看病しながら生活をしています。両親も歳を重ね、初期は1人でできた看病が、今では2人がかりでないと看ることも難しい状態です。障がいや病気がある人が家族にいると、旅行に行く、ごはんを食べに行く、お散歩も、ただそれだけのことが、本当に難しいです。妹の病院で、治療の問題で給食のハンバーグが食べられなくて、一日中泣いていたお友達を知っています。お料理屋さんに行っても、姉の徘徊や奇声、見慣れない行動で、周りの方から様々な種類の視線も受け、機嫌が悪くなると途中で退席することもありました。私は思います。障がいも病気も、年齢や性別も、全てを超えて個人がそのままを受け入れられ、いろんな存在がいて、社会や世界がなりたっている、ということをフラットな目線で感じられる社会になればと。障がいや、病気があると、選択できる日常があまりにも狭い。余暇の活動になるとなおさらです。レストラン、ホテル、アクティビティ。基本的には健常者のために設計されたサービスです。それ自体が問題だとは思いません。ハード施設のバリアフリーを謳う場所はあれど、それよりも心のバリアフリー、「その場所にいてもいい」という周りへの申し訳なさや、気遣い疲れの方が乗り越えにくい問題です。それらを少しでも解消したく、2020年宿を作りました。奈良県東部、山添村という場所で、ぴかぴかの朝日と、満点の星空と、心地の良いアウトドアサウナのついた、3室限定の宿です。https://www.ume-yamazoe.com/
自然界は色々なことが起こります。足のないカマキリや命が途絶えかけたセミ、上手に鳴けない鳥。それらを目にすることで、感覚がフラットな状態になる人が増やしたいです。そして、1月にPR TIMESでもリリースしましたが、月に1度障がいや病気のある方、ご家族の招待day「HAJIMARI」というプロジェクトを実施していきます。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000003.000054761.html
障がいや病気の有無問わず、本人も、家族や大切な人たちも、みんなが心穏やかに過ごせる場所を創る。そしてその姿をみて、いろんな人の感覚が”やさしく”変わること。これが私の夢です。どれだけのことができるかはわかりませんが、もらった命を生きられている時間を、少しでもあたたかな感覚で包まれる世界を目指して、もてる力を使っていきたいと思っています。
