Dream Database
誰かの心にそっと寄り添い 小さな力で世界を繋ぐ
エシカリージャパン合同会社
夢の理由
【誰かの心にそっと寄り添い 小さな力で世界を繋ぐ】私がこの夢を抱いたのはインドでの体験から始まります。インドへ行ったのは2023年3月。インドで音楽家として活動していらっしゃる日本人の方と偶然とも必然とも言える出逢いをしたのがきっかけです。その方と初めてお会いしたのが2022年の9月。自分の在り方やこれからの道に迷っている時でした。初めてお会いしたのにも関わらず自分のことのようにお話を聞いてくださっていたのですが、『薫ちゃん、インド来ちゃいなよ!』その一言でインドへ行くことを決めました。元々海外へ行きたいとは思っていたのですが”インド”という国へ行くことは全く考えてもいませんでしたし、まだまだ未熟な私が一人でインドへ行くことはもちろん周りからの反対もありました。それはインドについて知らなかった。というのが大きかったと思いますがインド滞在中はその方のお家でお世話になれるということでなんとかインドへ行くことが実現しました。インドへ到着後は驚くほどカルチャーショックの連続でした。人や車の多さや現地の方々が見に纏うもの、見るもの全てが新鮮でした。インドでの20日間、素晴らしい歴史的建造物を見に行き、ショッピング、グルメなどの観光ももちろんさせていただいたのですが、振り返ってみるとこの20日間は”旅行”ではなく”旅”だったなと思います。それは現地に住む多くの方々と沢山の時間を過ごし、お話をさせていただいたからです。私が感じたこと、感じてきたこと、これからのこと、もちろんたわいもない話など色んな話を共有させていただきました。現地の方とお話をさせていただいている時は皆さんあまりにも真剣に、目を見てよく聞いてくださるので、自分の気持ちに嘘をつきながらお話しすることなんてもちろんできませんでしたが、私の素直な心に真っ直ぐな心で寄り添ってくれました。自分を縛っていた鎖のようなものがスルスルと解けていき、日本へ帰る頃には未来への希望しかありませんでした。今でもインドマインドと言いますか、インドの皆さんが私に与えてくださった愛と寛容さに支えられながら日々を送っています。一方で物乞いをする子供たちや女性を見かけたり、綺麗な建物が並んでいるかと思えば、一歩入るとブルーシートを屋根にしながら生活されている方々がいらっしゃいました。初めて自分の目で見た現実に言葉を失いました。ですが私には多額の寄付ができるほどの財力や、世界のリーダーとなって変えていけるほどの知恵や力もありません。自分の無力さを実感しました。その気持ちを日本に持ち帰っていたのですが、その時に目にしたのが『I was a Sari』でした。プロデュースされているのはエシカリージャパン合同会社の中川雅里名さん。これは私の私感ですが、中川雅里名さんはご自身の持っている力で、救える人や救えるものがあるのではと考え行動されている方です。ああそれか!自分に出来ることってこういうことだ!と腑に落ちて有難いことに I was a sari の一員として活動できることになりました。使われなくなったサリーがアップサイクルされもう一度その布に命が宿る。それを作るために働くことができる人たちがいる。決してものすごく大きな力ではないけれど確実に誰かを救うことに繋がっていると思うのです。『インド』『サリー』『アップサイクル』これらを聞いてもピンとこない方も多いのではないかと思いますが、まずは沢山の方に知っていただけることから始めます。知らない世界を知ることは私たち人間にとってものすごく刺激的で、人生を変えてしまうこともあるからです。私が現地の方々にそっと寄り添っていただいたように、私も大切な人たちに、そしてまだ知らない誰かにそっと寄り添えるような人でありたい。日本人の私をインドと繋げてくれたように、I was a Sari を通して世界を繋げていきたい。それがこれからの私の夢です。